ダンス瞑想である、コンシャスダンスを通じて、「内面から輝く自分を作っていく」って、どういう事でしょうか。
型の文化である日本で、日本にある型って、本当に美しいです。体を動かす型で言えば、舞も、武道も。
その一方、あえて型がほとんどない、フリーフォームのコンシャスダンスは、型という外の部分がない分、
どれだけ、自分の内面を大切にするか、目に見えない自分の本質につながるか、が鍵になります。
コンシャスダンスが、輝かせる内面って、何でしょうか。
社会の中で、他人の期待、他人の評価に沿って、私たちは日々、体を動かしています。
例えば、女性の場合、日本女性は、こう動くべし、こうあるべし、という、
女性としての型というのが、日本文化は、すごく厳密に、あります。
その規範の中で、外面としての体が動き続ける中、内面もおのずと、型に沿ったものに、なります。
例えば、おしとやかである事、品が良い事、きちんとしている事・・・
どれも、素敵な事です。
ただ、それが、かなりの部分、生まれ育った環境と、周りからの期待からできていて、
日本女子として当然そうあるもの、そうなければ、美しくはない、と思って、形成されてきたもの、です。
野性の女のリトリートという、日本的にはかなり激しい名前のリトリートを構想した時、私は、
女性の万華鏡のような多面性に、想いを馳せたんです。観音や菩薩ですら、ありとある顔を持っているんです。
野性の持つ意味は、また別に触れますが、
言いたいのは、女性が内面に持っている輝きの質は、本当は、いろんな顔を持っていて、
その一方で、これが私だ、と決め込んで、外に表現している事が、多いんじゃないかなぁ、と。
フリーフォームが、ちょっと不安、怖く感じる、という人がかなり多いようなので、なぜかなぁと思うと、
この、社会の規範から、はみ出る感じ、言われた事ではなく、自分で感じて動く感じが、
すごく違和感があるのかも、しれません。
ヨガだと型があるからやりやすいけど、ダンスはちょっと・・とか。
でも。
外からの目に囚われずに、自分の内面に向き合って、それを表現できる場、
それがダンス瞑想には、あります。
誰からも指示される事なく、自分自身の内面を見つめて、
それを形に取って表現する事によって、内からの輝きが、自然に、身につくのですよ。
作られた美ではない、偽りのない、自分自身としての美、輝き。
これを私は野性の美、と呼んでいますが、内から自然に輝いていく、そんな事を、ダンス瞑想が、
してくれる、と思っています。