貴女は、自分の女性性が、うまく表現できていない、自分の中で、受け止められていない、と思っていますか?
若干暑すぎる、夏がやって来ました。服を着ているのが、馬鹿馬鹿しいぐらいの、暑さですね。
胸の谷間が見えているシャツ。セクシーなミニとハイヒール。
公共の場にして”エロス”を感じさせるような、女性の格好や振る舞い、
夏になると、目立ってまいりますね。
それを目にした時に、えー?色気出しすぎでしょー?
とか、様々なジャッジメントが、頭をよぎっていますか?
だけど、鏡やガラスに映る自分をふと見たときに、
もっと自然に、自分の女性っぽさや、セクシーさ、表現できても、いいのになぁ、、と思ったり・・
矛盾があったりしませんか?
さて、みなさん、女神って様々な顔を持つ って、知っていましたか?
菩薩みたいな超越的存在や、聖母マリアみたいな母性的存在だけでは、ありませんよ。
その中でも、豊穣の女神は、女性は”慎み深くあるべき” ”大和撫子が女性の理想形”という、
社会的通念を爽快にふっ飛ばす存在とも、言えます。
8月のWomen’sリトリートのテーマは、豊穣の女神ですよ。
日本で言いますと、吉祥天、インドではLakshmiという、色気たっぷりの、肥沃な美の女神でございますよ!
(ただし吉祥天は、大昔にインドから中国に着いた時点で、だいぶ色気を削がれております。)
となりますと、
イメージとしては、豊満な胸もお尻がフリフリも含めて、グラマラスさに引け目も感じない、堂々たる女神かしら!
(私自身は、豊満の対極にあるカリカリ体型ですが、イメージが大事ですから、イメージが。)
リオカーニバルの女性たちをイメージしても、構いません(が、残念ながら、リトリートで、あれは着ません)。
天の岩戸の前で、トップレスで踊った女神がいた以上、セクシーなのはラテン女性の専売権だ、などとは、
言わせませんよ。
エロスも含めて、女性の身体・心と、女性性は、女性という性として生まれた自分の中に、
生まれた時からある、自然な素質、です。
もっと言えば、神聖な女神性です。その1つの本質は、 美 です。
そして、遊び心、も、人間の自然な素質です。
例えば、流し目やちょっとした媚びぐらいは、鳥や蝶々が、派手な格好しているのと同じようなもので、
騒ぎ立ることでも、なかったようなものです。
なぜ、自然の素質としてのエロスが、生まれ育つ中で、避けるべきもの、はしたないもの、ずるいものや恥ずかしいもの、
になってしまったのでしょうか?
・自分の親から、性がはしたない、下賤なものだ、あるいは人の目の前で出すものではない!というような、言葉を聞いて育ったのでしょうか?
・水商売をしている女性たちを、男性が商品として扱うような性の文化を見て、嫌悪感を感じたのでしょうか?
・自分がそのような目や態度で異性に触れられて、自分の中の女性性を、恥ずべきもの、と感じてしまったのでしょうか?
・仏教などに触れて、身体は幻想、欲望は煩悩だから、捨て去るべきだ、と聞いて、なるほど!と思ったのでしょうか?
・女性は、キリッとして高尚で、高潔であるのこそが、美徳だ、と、どこかで聞いて学んだのでしょうか?
生まれ育ち、生きていく中で、ジャッジメントを形作る、いろいろな何かが、あったはずなのです。
自分自身の女性性を受け入れ、自然にそれを表現できる道のりの中で、
エロスというテーマについて、自分の生まれ育ちに何が起こったのか、振り返ってみるのは、
最初のステップとして、とっても、オススメです。
しなやかさや、時にはエロスをも、自然に自分に取り込んでいくのに、ピッタリなダンスを踊ったり、
身体や心の隅々に意識を配るエクササイズは、
こんなジャッジやブロックを外すのに、ピッタリ、と言えましょう。
私のワークショップやリトリートで、フリフリスカートをはいてきてね✨ などとお願いすると、
多くの女性方が、最初は、ちょっと恥ずかしがられます。
でも、ちょっと、ほっぺたにピンク色が差す感じで、優しくソフトな、あるいはセクシーな服装をされて、
それを私は見てるだけで、ニコニコしています。アァ、女性って、生まれつき、なんて美しい。
こんな美しさを、抑える必要がなぜあろうか、と。
みんな生まれつき、それぞれ違う個性を持った、女神だ、ってコトです!
自然の中で女性性を解放するWomen-onlyリトリート 豊穣の女神編 水と龍のヒーリング編
月1の女性の集い 満月に集う女神たち
Akikoのタントラのワーク 女性性と男性性のテーマに働きかけるタントラのワークショップ、今後開催していきます。