よく、「Akikoさんは、どんな人生の変化を辿って、今の瞑想とかダンスとかタントラとかをするまでに至ったのですか?」

と聞かれます。

過去20年ほど、常に自然派ではありながらも、やはりキャリアウーマン一筋で、ものすごーく男性的だった私の女性性が、

どう開花して行ったのか。(なお、今でも私の男性性は、力強いです!)

こと、

「フリーフォームのダンスと女性性の開花とのつながりが、やっぱり、ピンと来ない」

多くの女性の参考になるかもしれないと思いますので、ちと、話は長くなりますが、このブログで、書いてみる事にしますよ。

(タントラ、自然を通じたシフトについても、また書きますね!)

<ステップ1.ヘビーな別れをきっかけに、芯が欲しくて、瞑想を習い始めた>

アメリカ院留学をし、院の不眠生活、パナマやアフリカでの超ハードコアな政策インターンシップをサバイバルし、

卒業後、ワシントンDCに上京した10年ほど前。

結構ヘビーな別れを経験しました。当時、婚約していたのでした。

公園で彼と別れを告げた後、周りが見ているのも気に留めずに、ボロボロ泣きながら通りを歩いて、

その足で、ヨガセンターで開かれていた、ビパッサナ瞑想クラスに、初の瞑想クラスとして参加したのを覚えています。

瞑想中もずっと泣いていました。

直感として、自分の心理・精神面に、足りなすぎる部分があって、なんとかしたい!

そして、今瞑想というものをしないと、自分で自分が維持できない!と思ったからです。

いわゆる、男性性的な、ビシッと芯を通し、揺るがない、大きな感情の揺れに揺さぶられない、

全てを見通せる、そんな自分が、瞑想を通して、欲しかったのです。

<ステップ2.さらにヨガを習い始めているうちに、女性性と、スピリチュアルが並存する事が、気持ちよくなってきた>

1ヶ月後、別れのダメージを癒しつつのビパッサナ瞑想が、だいぶいい感じになってきました。

さらにこの瞑想を毎週開催している、ワシントンDCのど真ん中にある、おしゃれなヨガセンターで、ヨガを習い始めました。

当時からアメリカでも、ヨガはすでにだいぶんファッション的な感じで。しかし、

キレイな女の子が、キレイで高いヨガ服をまとい、高いヨガマットを持って、おしゃれにやっている感じが、

実は私は、昔から好きではなかったのです。

ヨガっちゅうものは、真面目に、がっつりやる、インドのものだろう! と思っていたので。

いわゆる、禁欲的(男性的)な精神性、です。真面目でないとダメ、チャラチャラしたのはダメ!

それが精神世界とゆうものだ

と、禅の日本で生まれ育った私は、思ったわけです。

 

しかしながら。やっているうちに、実はそのおしゃれヨガセンターが、結構ヨガの本質を極めている事や、

その中心的存在である、某超大御所セレブのヨガティーチャーShiva Reaが、女性的で野性的で美しい事を、

さらっと大前面に出しているのが、すごく自然で、インスピレーションを受けるのでした。

キレイでかつ瞑想的なのが、共存している感じが、意外と「気持ちがいい」と言う事に、気がつき始めました。

この辺りで、どうやら、女性的でありながら、精神的であることを、前向きに捉えられるように、なってきました。

 

 

次回に続きます・・・